Non-Duality Speaker , Early Buddhist Philosophy Teacher

「漢字を開く」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

笑える~こわい話 第5巻:傷だらけの竜』の編集が終わり、出版のための手続き中である。
筆者である巻山紗依のお父様が他界された際の、天国のようすが垣間見え、非常に興味深い内容となっている。
今はすでに第6巻の編集中。

人生のなかで、これほど文章にかかわった経験はない。やはり、出版における常識というものを勉強しなければならない。
読者のなかには「なぜこんなかんたんな漢字がひらがななのだろう?」といった疑問をもたれた方は多いかもしれない。
実際、身の周りの小説や雑誌をよく見てみると、漢字は思いのほか少ない。私が今、書いているこの記事にもひらがなを多用している。これはなにも「漢字を知らない」からではないし、「読者は読めないだろう」とバカにしているわけでもない。
どうやら、そういうもののようである。
だからといって、暗黙のルールというものがあるので、むやみやたらにひらがなにしていいというわけでもない。この点がやっかいだ。
そのサジ加減はやはり「やさしさ」の言葉に尽きる。いかに読みやすくするかが重要となる。とはいえ表現上、漢字にしたいところはあえて漢字にしておく。
それでも決定的な、無視できないルールもある。少しだけ列記しよう。

  • 「そういうものだ」というときの「いう」は「声に出して言う」なら「言う」になるが、ちがうのであれば「いう」となる。
  • 「連れていく」というときの「いく」は「行く」意味をもっている場合は「行く」とし、「連れられて時間が経過する」意味合いが強い場合は「いく」となる。

このように、実際の行動を示しているなら漢字となり、実際の行動がともなわない表現はひらがなとなる。「とき」「時」もそうだし、「もつ」「持つ」もそうだ。

  • 「気遣い」は名詞なので「遣う」のほうの漢字を使うが、「気を使う」のように動詞となると「使う」のほうの漢字を使う。

名詞か動詞かによっても変わるのだ。

  • 「あちらの方へ」としたとき「ほう」と読むのか、「かた」と読むのかわからなくなる。その場合、「ほう」の場合はひらがな、「かた」の場合は漢字で書くといった使い分けもある。

もし、あなたも小説やノンフィクションを書きたいと思われたなら、このあたりを注意して読んでいただくと非常に勉強になると思う。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。