Non-Duality Speaker , Early Buddhist Philosophy Teacher

アイヌ・ブームの喜び

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

漫画『ゴールデンカムイ』の流行を受けて、北海道アイヌが脚光を浴びている。差別され、虐げられてきた日本の先住民族が、日本人から憧れと尊敬の念をもって扱われていることは、日本史上、かつて一度もなかった。

北海道の中でもアイヌが比較的多く住んでいる東部出身の私は、アイヌの差別被害を見聞きしている。世代としては昔ほどの差別はなくとも、やはり心を痛める場面はあった。アイヌの方々にしてみれば、相当の回数の辛酸を舐めたことだろう。

それほどの、難しい社会風土の中で、アイヌがリスペクトされているのだ。おそらくインスパイアされるほどの輝きをもって、想像以上の数のクリエイターたちを照らしていることだろう。誰もが成し得なかった奇跡を、野田サトルという名の一人の漫画家がフィクションとはいえ、アイヌを題材にしてロマンを描き、その心が多くの人々に伝わった。漫画はすでにアニメ化までされている。そのまま国境を越えて、世界に広がることだろう。日本人のアイヌ差別の歴史と共に。

日本では未だに、アイヌの墓地から盗まれた遺骨を学術的な利用と称して返還しない事例が多い。

日本人にはあまり知られていないが、言語学的にもっとも日本語に近い言語は、全世界を見てもたったひとつ、アイヌ語のみである。
遺伝子の研究では、アイヌはもっとも縄文人に近い。
このことから、古代日本の解明にアイヌの文化は不可欠であることがわかる。
考えてみてほしい。あなたは「博多」という地名の意味がわかるだろうか。そのほか「大和」「名古屋」「武蔵」など古来、伝わる地名は、伝承では残っていたとしても、史実上なぜそう呼ばれるかは現代日本語ではわからない。
アイヌ語地名は北海道と東北に残っているといわれているが、日本全国にある現代日本語でわからない古い地名は縄文語由来の可能性が高い。その縄文語の原形を多く留めていると考えられるのは、まさにアイヌ語なのである。
万葉集に出てくる枕詞も何を意味しているかについて失われているが、アイヌ語をヒントにして解明できるかもしれない。

民族の遺伝子の関係を家族にたとえるなら、現代日本人から見て、縄文人は祖父母、本州西部縄文人は母、中国大陸長江文明人は父、北海道縄文人はおば、アイヌと沖縄の琉球人は、祖父母が同じとは限らないので、祖父母のきょうだいの子孫ということで、またいとこといったところか。朝鮮半島人も本州に渡来しているので第二夫人としての二人目の母となってしまい違和感があるが、そこはたとえに無理があったとしかいえないのでつらいところではある。
天皇家は顔立ちや儀式の内容から、中国大陸からの渡来人である。学者によっては、神話の近似性から朝鮮半島からの渡来人だと説く者もいる。
おもしろいことに、私の地元のアイヌの伝承では、中国大陸の渡来人とアイヌが結婚してシサム(日本人)が生まれたとされている。

ここで、アイヌが縄文人の純粋な子孫だという誤解を避けるために、学術的に残念な話を付け加えなければならない。
本州縄文人が弥生時代を迎えたあとも、北海道縄文人は縄文文化を続け、続縄文時代、擦文時代と発展させていった。それが13世紀に忽然と姿を消す。
7~8世紀から北海道北部と東部には、オホーツクの少数民族でわずかに同じ遺伝子を共有するウィルタ、ニヴフ、アイヌが渡来していた。その遺伝子は縄文人にはないもので、彼らは縄文人とオホーツク系少数民族の両方の遺伝子を受け継いでいるのである。
ここで注意すべきは、彼らは北海道縄文人が北上し、北海道に戻ってきたのではなく、北海道縄文人が北海道でオホーツク系少数民族と混血した結果でもないということである。
その理由は、北海道縄文人は竪穴式住居に住んでいたが、北海道アイヌは掘立柱建物に住んでいたことから、文化が退化しているのである。もし子孫なら、これは人類史上ありえないことらしい。奇妙なことに、樺太(サハリン)アイヌと千島(クリル)アイヌは竪穴式住居に住んでいた。寒さに耐えるため、北海道縄文人の住居をまねたのか、独自に進歩したのかは不明である。北海道東部では北海道縄文人とウィルタ、ニヴフ、アイヌなどのオホーツク文化が融合したトビニタイ文化が現れたが、北海道縄文人の消滅と共にトビニタイ文化も姿を消した。
13世紀以降はアイヌを筆頭に、ウィルタ、ニヴフが北海道を含めオホーツク圏に居住した。アイヌが多数派であった。
なぜ、アイヌが多数派であったのかも解明されている。日本にモンゴルが攻めてきた元寇の時代より前に、アイヌはモンゴルと戦っていた記録が残っている。のちに中国を占領し清国を打ち立てた女真族(満州族とも呼ばれる)は血気盛んで好戦的といわれていたが、アイヌも周辺の少数民族と戦闘を繰り返しており、女真族とも戦っていたと考えられている。アイヌは勇猛果敢な民族であった。
このことから、北海道縄文人はアイヌと衝突したと考えられるが、ウィルタとニヴフは生活圏を分けて存続しているのに、北海道縄文人がなぜ完全に消滅したかは解明されていない。ウィルタやニヴフと違う点があるとしたなら、北海道縄文人は大和朝廷から恐れられていた蝦夷(えみし)であると仮定することで、かなり好戦的であったと考えることができ、そこが大きな違いだといえる。大和朝廷と戦った蝦夷(えみし)は11世紀まで東北地方に存在した。日本は天皇を頂点とし、江戸幕府などの将軍は征夷大将軍として天皇から任命されていたのは、蝦夷(えみし)と戦うためである。北海道縄文人が13世紀に消滅したことと、11世紀に東北地方で蝦夷(えみし)が支配下になったあとも14世紀まで反乱が続いたことを考えると、北海道縄文人はやはり大和朝廷から恐れられていた蝦夷(えみし)そのものであり、大和朝廷に何百年も屈しない勇猛果敢な民族で、北海道でもアイヌと衝突し、一時は北海道北部を占領して、アイヌを樺太(サハリン)アイヌと北海道東部アイヌに分断し、北海道東部アイヌは蝦夷(えみし)の影響下に入ってトビニタイ文化を形成したが、再び樺太(サハリン)アイヌが北海道に上陸して北海道北部、東部、南部と勝利していった。蝦夷(えみし)が弱体化していた理由は大和朝廷との戦闘が続いていたからであった。蝦夷(えみし)は13世紀に北海道を捨て東北地方に逃亡し、14世紀まで大和朝廷に反乱を起こしたが、ついに屈服して日本人に同化してしまった。

20年以上前から個人的に研究していた私は、アイヌが北海道縄文人を全滅させたのではないかと考えていたが、皆殺しは考えにくい。アイヌと同化したのなら、擦文文化がアイヌ文化にほとんど残っていないのも納得できない。気候変動などで北海道縄文人だけが消滅するのもありえない。結論が出せずモヤモヤしていた。
今回、調べなおして再考すると、北海道縄文人は大和朝廷とアイヌの両方と戦い、大和朝廷に屈服させられて同化したと考えるのがもっとも妥当であると思われた。学者などが書かれた書籍などで拝見した記憶はないが、北海道縄文人、いわゆる擦文文化を形成した擦文人と呼ぶべきだろうか。彼らが蝦夷(えみし)であったと考えるのが、いちばん自然である。

以上のように、アイヌは縄文人の純粋な子孫ではないが、縄文人の末裔である北海道縄文人と似た文化を奇跡的にといってもいいほどアイヌももっている。北海道縄文人を日本人が侵略と混血などで消滅させてしまったため、手掛かりは遠い親戚のような遺伝子関係であるアイヌに求めるしかない。アイヌが北海道縄文人よりも原始的であったのは、オホーツク文化において寒冷地のため農耕文化を必要とせずに狩猟文化が続いたが、北海道に移住することで北海道縄文人から農耕文化の影響を受け、簡単な畑は営まれていた。北海道縄文人とアイヌは友好関係ではなかったにしても、戦闘だけでなく文化交流もあった。

アイヌのことについて、まだまだ書きたいことはあるが、誤ったことは書けないので確認しながら、この記事を書き始めて5時間以上もかかっている。
日本人を食べたヒグマを退治しようと山に入り命を落としたアイヌや、日蓮が元寇を予知したエピソード、私の地元でクマ殺しとして有名だった首長、北海道の命名者である松浦武四郎とアイヌの交流、奈良県十津川村の不幸など、アイヌの話題は尽きない。続きはまたの機会にしよう。

最後に、これほどアイヌがブームになる日をどれだけ夢見たことか。札幌市内で『ゴールデンカムイ』の観光用ポスターを見ると今でも感動する。フィクションであって、現実のアイヌが抱える日本社会における悩みの解決に直結するものではないが、日本全国にファンが増え、アイヌが広く認知されることはすなおにうれしい。
必ずやアイヌの明るい未来につながると、私は信じている。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。