Non-Duality Speaker , Early Buddhist Philosophy Teacher

テレビドラマ『BORDER』を久しぶりに見た。

テレビドラマ『BORDER 警視庁捜査一課殺人犯捜査第4係』を久しぶりに見た。

私には霊能力がある。だから、霊能力を取り上げたテレビドラマや映画を見ると、実際にありうる描写かどうかに敏感である。
そのため、ありえない描写がひとつでもあると、その作品は終始、ありえない展開になるので、興ざめする。
逆に、ありうる描写がひとつでもあると、理解者が原作者や演出者などのなかにいるのではないかと期待してしまう。そして、不思議なことにそういう作品に限って、ありえない描写がほとんどない。あっても、微妙に許せる範囲であったりする。本当に不思議である。

私が今、書いていることに、まるでつじつまが合っていないように見えるかもしれない。
ここで例を挙げよう。

霊が近づくとき、寒けはしない。生ぬるい風も吹かない。こういった古典的な演出に凝る映像作品ほど、ホラー的な、驚かすことに主眼をおいている霊が登場し、現実的な霊現象とは懸け離れたものになる。

古典的な演出である寒けや生ぬるい風などに力を入れず、霊が現れるときにわざわざ間を置くなどといったこともしない映像作品は、現実的で、霊能力者が実際に体験するものに非常に似ている。
霊は突然、視界に入る。駅のホームで生きている人間にうっかりぶつかってハッとするように、自然に視界に入ってくる。駅のホームで生きている人間にうっかりぶつかって「気づかなかったから幽霊かも!」とはとっさに思わないのと同じなのだ。
そして、霊能力は、リラックス状態では前触れがなく働き、緊張状態では耳鳴りやめまい、頭痛などを伴う。

お気づきのかたがいらっしゃるかもしれない。テレビドラマ『BORDER』では主人公が霊を見る直前に耳鳴りを起こしているのだ。
そして、非常に現実的に物語は進行する。その意味で、私はこのドラマが好きだ。

洋画『シックス・センス』でも、霊は自然に視界に入るという描写がされていた。公開後に執筆された小説版をたまたま見掛け、手に取り目を通してみると、初っぱなからありえない描写が始まり、読む気が失せた。いわゆる冷気で霊の気配を表していたのだ。

ホラーは娯楽としては否定しない。びっくりさせられるのは楽しいものだ。ただ、本物の日本を知っている人が、中国文化と日本文化がごちゃまぜになった日本の描写をしている映画を見ると興ざめするように、実際の霊を知っている私はすなおになれなくなるのだ。

関係ない話だが、近代の日本人が抱いていた中国大陸の人々のイメージとしての辮髪(べんぱつ)や両手を反対の袖の中に入れる姿勢は中国大陸の人々の本来の文化ではなく、中国を支配し清国を打ち立てた満州族(女真族)の風習である。日本の中華料理店の看板のイラストなどに今でも描かれていることがある。実際にそのような中国大陸の人々はいないし、中国の映画でも描かれていない。これを例えるなら、日本が朝鮮半島の人々に支配され、中国が朝鮮半島の人々を打ち負かし、日本が日本人の統治に戻った後で、中国人が和食料理店の看板にチマチョゴリを着た女性の絵を描いているようなものである。例えるために創作した話だが、こっけいさは同じである。

もうひとついえば、中国残留孤児として中国大陸の人々に日本人の子どもが育てられたと考えられているが、清国が消滅した後、日本が満州族を援助して建てられた満州国の人々が日本に感謝して日本人の子どもを養ってくれたものである。戦前の満州国には日本人が多く住み、日本人の歌手や俳優などが活躍していた。李香蘭などが有名である。中国と日本の友好ではなく、満州と日本の友好の結果である。中国との友好は後の話なのである。これも例えるなら、北方領土にロシア人の残留孤児がいたとして、アイヌが育ててくれたのに、日本が北方領土を統治するようになってから、ロシア人が日本に感謝するのはおかしな話となる。例えるために創作した話だが、こっけいさは同じである。

もちろん、実際のアイヌが日本国籍ではあっても民族としての日本人扱いはおかしい。アイヌが民族としての日本人なら、今でもサハリンに住むアイヌも民族としての日本人になるのかという話になってしまう。アイヌは民族としての日本人とは違う民族である。北方領土も千島列島もサハリンも北海道もアイヌの土地であった。サハリンにはアイヌのほか、ウィルタやニヴフもいた。アイヌ、ウィルタ、ニヴフの一部は日本に移住している。

霊をアナザーサイドの世界に住む人間と考えるなら、霊を現実のものとして感じ取っている私には、ホラー映画の霊などはやはり抵抗がある。他界した人々は死後も生前と同じ性格であり、お化け屋敷のような役回りを望んですることはない。まるでSF映画で宇宙人と交信するかのごとく、霊とはテレパシーのようなもので会話ができる。霊は霊能力者にとって、生きている人と同じく存在する人格なのである。

もうひとつ、付け加えておこう。宇宙人がいるとかいないとかの議論のなかに、宇宙人の霊体の議論がないのはおかしい。宇宙人にも死があるなら、宇宙人も霊体があって当然である。霊体があるなら、生き霊もありうる。幽体離脱を使いこなすかもしれない。そもそもUFO自体が霊体かもしれない。もっといえば、地球の未来の人間が霊体になって現れているかもしれない。宇宙人と未来人のほか、恐竜が生きていた場合の、人間に進化した爬虫類の人間が平行宇宙から来ているかもしれない。体はそのままで記憶だけが連動し、意識の区別がなくなり、憑依された状態になっているかもしれない。個人はどこまでが個人なのかわからないのが真実かもしれない。

真実と虚偽の境界を語っているうちに、大きなテーマになってしまった。どこまでが真実かは、あなたの想像力次第だろう。

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