人の気持ちがわかる人とわからない人

人の気持ちがわからないという人は多い。わからなくて当然だとまで思っている人がいる。
しかし、人の気持ちがわかる人もいる。人の気持ちがわかる人は、それが当然だと思っている。

人の気持ちがわからない人は、人の気持ちがわからないのが当然だと思っているので、人の気持ちがわかる人の気配りを平気で踏みにじる。
そのたびに、人の気持ちがわかる人は傷つく。

人の気持ちを理解することはむずかしいことではないのだが、わからない人にはわからない。
ここで例を挙げてみよう。

遅刻されたら怒るのに、自分は遅刻しても謝らないという人は意外に多い。
そういう人は、遅刻されたときの自分の感情と、自分が遅刻して待たされた相手の感情が同じだとは思っていない。これを同じだと覚えるだけで、簡単に人の気持ちがわかるようになる。

ではなぜ同じだと思えないのか。それは自分がどのような場面で腹を立てていて、どのような場面で人に迷惑をかけているか覚えていないからである。
目の前の人が遅刻して、自分が不快になったから腹を立てた。自分が遅刻したときは、到着して目の前にいる相手がやたら怒っている。このとき、自分が待たされたときの怒りを思い出さないので、待たされた相手が早く鎮まらないかなと考える。なかなか収まらずいつまでも怒られると自分も不快になる。すると、うるさいなと感じ始める。来るんじゃなかったなとまで思う。

相手にしてみれば、「自分が遅刻されたら怒るくせに、なぜ自分が遅刻しても謝らないの?」となるだろう。その疑問は正しい。なぜなら記憶しているからだ。

このように、遅刻されたら怒るのに遅刻すると謝らない人は、条件反射のように感情が湧き上がるままに任せて相手と接しているので、自分が相手にどれだけ不快な思いをさせているかがわからない。謝るべきかどうかもわからない。

ここで認知行動療法の話をしよう。
認知行動療法では、自分の感情を自分で観察して、感情の強さをだいたいの目安の数字で記録し、自分がどんな感情をいだいているかを把握するステップがある。
それは、自分が怒っているのか、悲しんでいるのか、寂しがっているのか、喜んでいるのかをあまり把握していない人間がいるからだ。

たとえば、一覧表に大きく感情が動いた出来事と、そのときどんな感情が湧いたか、そしてどのくらいの強さだったかを、最大を100%として記録していく。家族と口論になったのなら、「約束を忘れた父に怒鳴りつけてしまった」、「腹が立った 90%」「裏切られた気分になった 80%」「寂しかった 60%」などと書く。
こうすることで、自分の感情を自覚できるようにトレーニングする。

これは、自分で自分の感情を当たり前に知っているつもりでも、実は自分でわかっていなかったということだ。あとで一覧表を見渡すことで、自分がいかに短気かを理解したり、もっと家族にやさしくしようと思えるようになったりする。
そのほか、自分の感情を自覚しやすくなる。

さきほどの例の「遅刻されたら怒るのに、自分が遅刻しても謝らない人」は、認知行動療法で自分自身の感情を把握するトレーニングが有効だ。

そして、さらに重要なことは、自分の感情を自覚できるようになるということは、自分の感情が記憶できるようになる。すると、人の気持ちも想像できるようになる。

つまり、人の気持ちがわからない人は、自分の気持ちを把握していないことが原因なのだ。

冷たいからではなく、想像していないからではない。わからないのだ。本人に気づかせれば少しずつ理解できるようになる。

さとり・非二元で考えるなら、自分自身を客観的にとらえることができなければ、本当の自分も自我も発見することはできない。

それが仏陀のいう「自分の主(あるじ)となれ」の意味である。

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