Non-Duality Speaker , Early Buddhist Philosophy Teacher

人間とは何か。私とは何か。自分とは何か。

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人間の性格には大きく分けて心理学的に2種類があるが、その違いを決定づけるのが「自分」または「アイデンティティ」をどう捉えているかであるため、非常に興味深く観察している。
心理学的に大きく2種類に分かれるといっても、それぞれもさらに2種類ずつ分かれるので、合計で4種類である。この区分はユング心理学の心理学的類型と一致する。
大きく2種類に分けた分類は合理機能と非合理機能である。
私の性格が属する分類は非合理機能で、さらに2種類に分けた直観型と感覚型のうちの、直観型である。そのため、私はこの非合理機能をよく理解している。
直観型と正反対の価値観をもつ感覚型を理解することには4年もかかったが、それでも少しずつさらに理解が深まる体験をしている。
最近、非合理機能の感覚型について、さらに劇的な理解が進んだ体験があり、いまいちぼんやりしていた分類の境界線がはっきりと見えてきた。非合理機能の理解がほぼ完成に近づいたことで、以外にも、合理機能の理解までが進んだのだ。

人間の性格分析が困難な理由として、当然のことだが、本人の価値観が本人以外の人にとっても普通だと誰でも思い込んでいることが挙げられる。同じ日本語を使っていても、語彙ひとつひとつの意味が性格ごとに微妙に違っている。
世間でよく耳にする言葉だからといって、すべての性格が理解できるとはいえない。例えば「自分探し」という言葉は、非合理機能の性格の人が好んで使うもので、合理機能の人からすれば、まったく理解できない。
合理機能の人々は「これが自分だ。ほかに探しに行く意味がわからない」と豪語するが、非合理機能から合理機能の人々を見ると、自分だけの価値観をもっているようには見えない。合理機能の人々は、人から褒められることや尊敬されることを率先してやり、それが自分だと得意げに言う。
では、非合理機能は自分だけの価値観をもっているのかというと、そもそも人間は教育を受け、流行のなかで生き、社会のなかで育つので、結局のところ、与えられた価値観や見聞きした情報から取捨選択をして自分の価値観を形成する。自分だけの価値観というものを一から作り出すのは不可能に近い。
そこで、非合理機能は自分探しを繰り返すのだが、非合理機能からすれば、合理機能は非常に自信があるように見える。褒められることや尊敬されることにすなおに取り組む合理機能は目立つため、成功しているように見えたり、充実しているように見えたりする。
まねをして、自分だけの価値観をもてるとは思っていない非合理機能は、合理機能の成功や充実を憧れをもって眺めながら、自分なりの成功や充実を探し続ける。
ごくまれに、非合理機能でも才能を発揮して有名人になる者はいる。合理機能には到達できないオリジナリティやクオリティを実現するので、合理機能の人々からも尊敬される。しかし、それはアーティストや職人のように、非常に限られた人であって、99.9%の人は実現できない。

このように、何が自分なのかという考え方さえも、人間は性格ごとにまったく違う思考回路をもっている。
非合理機能の私は、合理機能の人々にとっての「自分とは何か」について、ついにメスを入れた。釈迦が言った「自分を知りなさい」という教えを伝えるために、心理学でいうメタ認知をいかに理解してもらうかが鍵であると考えている。

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