Non-Duality Speaker , Early Buddhist Philosophy Teacher

本を書くメリット

ちょっとおかしな話だが、心理学的にメリットがある体験をした。
体験をしたというか、聞いた話なのだが、私が執筆にかかわっているので、私の体験のように勉強になったというほうが正しい。

人は、会って話をすると、そこに事情や立場関係が絡んで、同じ内容の会話でも意味が微妙に変わるものである。
成人し社会に出ると、仕事や結婚などで誰しも悩みを抱えている。親戚や友人だけではなく、近所づきあいでさえもいろいろ気をつけなければならない。

いちばんわかりやすい例え話は、「お金がなくてたいへん」という一言だろうか。「ああ、お金がない」という言葉を口癖にしている人は意外に多い。この言葉は場面によっていろいろと意味が変わってしまう。
経営者や資産家が言う場合、「お金があるように思われているけれど、そんなに自由に使えるお金なんてないのよ。将来のこと考えたら、とても使えないわ」となるだろうか。
家庭がある人ならば「突然の出費があるので、備えておかないといけない」、働いている人ならば「借金の返済があるから、稼いだ分は丸々使えるわけではない」、貯金がない人なら「貯金しないといけないのに、思うようにできていない」という意味になるだろう。

しかし、人には言えない事情というものがある。親の介護でお金がかかっているのかもしれない。または、トラブルに巻き込まれているかもしれない。仕事が見つからず、本当に収入がないのかもしれない。

これは例えであるから本当にそうだというわけではないが、社会人同士が会話のなかで「お金がない」と言ったところで、「本当はたんまり貯金しているんでしょ」と受け取られたり、「奢ってほしいのかしら」と誤解されたりする。たとえ、「トラブルに巻き込まれて困っているの……」と訴えても、それさえも「奢ってもらうための巧妙な嘘で、本当はお金を使いたくないからだ」と思われかねない。

世の中、こういったコミュニケーション上の誤解は日常茶飯事で、職場での人間関係トラブルはこれに尽きるといえる。
何を言っても理解されず、自分の本当の思いは伝わらない。

ところが、書籍に自分の人生を書き、過去の事情を会話で伝えるのではなく、すべてを書いた本を相手に読んでもらうと、思いのほか理解されるという体験をした。

おそらく、会話では「どういうつもりで、そんなことを言っているのだろう」と考えながら聞いている相手に、まず警戒心を解いたり、共感を得たりして、真意を理解してもらう準備が必要である。
それに比べて、本の場合は内容のおもしろさも重要であるが、「どういうつもりで……云々」はなく、ストーリーとして内容を読み取り、順番に経緯が入ってくるから、すなおに理解されるのであろう。
もちろん、恣意的にロマンチックにしたり、自己正当化していたりする内容では「どういうつもりで、そんなことを書いているのだろう」と思われてしまう。過剰な表現はなしにして、場面を描いていくことが求められる。

確かに、わざわざ書籍のなかで「お金がない」と繰り返し書くことは考えにくい。もし、詐欺事件に巻き込まれた経緯を書いた本なら、場面ごとの事情がつかめ、だまされた側には問題が少なかったと理解を示しやすい。テレビ番組なら再現VTRのような役割になる。

そういった意味で、あなたがあなた自身の物語を本に著すことは有用であるといえる。家族に宛てた手紙のように、読み手の涙を誘うかもしれない。

そして、もうひとつ。
書いた本人が、よりいっそう自分自身を理解する一助にもなると、まちがいなくいえる。この効果は絶大である。無意味のような人生が、閑散としたかのような人生が、彩りをもってあなた自身を祝福することだろう。

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