Non-Duality Speaker , Early Buddhist Philosophy Teacher

煩悩の愚かさ

実に、実感するとは、知ることとちがうと思い知らされる。

釈迦は、煩悩や一切皆苦を語った。
衆生は無明(むみょう)を原因にして、苦しんでいるという。

本当にそう思う。
なぜなら、自分が思っている自己像と、実際の自分の姿はあまりにもかけ離れている。その思い違いが哀れで、醜い。

成長すること、大人になること、幸せになることとは、本当の自分の姿を受け入れることから始まる。それから目を背けて、成長も幸福も実現できない。

そして、厄介なことに、その不快感、苛立ちを人にぶつける。特に、真実を教えてくれた貴重な人物に真っ先にぶつける。あまりにも愚かで、見苦しい。

博多でバスジャックした若者は、乗客ひとりを殺した。その女性客は教師だった。

児童養護施設で育った青年が、児童養護施設でもっとも児童から尊敬され慕われていた職員を殺した。

大抵、逆恨みで無差別殺人が起きるとき、殺される人間は恨まれるはずのない善良な人物である。皮肉な話だ。

釈迦は煩悩の正体を語ったが、仏教では語り継がれていない。

人類は独自に科学を発展させてきた。釈迦はなにかを解明した。ならば、人類がたどり着いた科学的根拠を釈迦の論説に当てはめて、釈迦がなにを言わんとしているのか探ればいい話だ。宗教だ、信仰だ、ご利益だと言う前に、釈迦の本意をなぜ知ろうとしないのか。

釈迦は苦行を否定した。清浄行としての瞑想は勧めた。釈迦がなぜ苦行を否定したのかが重要なのだ。

人々よ、目を覚ませ。

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