非二元性(ノンデュアリティ)を語った正覚者ガウタマ・シッダールタ

このブログでは「非二元(ノンデュアリティ)」と呼び習わしていたが、英語の「Non-Duality」は「非二元性」のことである。「非二元」は「Nondualism(ノンデュアリズム)」といったところか。
それであれば「非二元」を実践している人は「Nondualist(ノンデュアリスト)」と呼んだほうがわかりやすく感じるが、なぜか「Non-Duality Teacher」か「Non-Duality Speaker」が好まれている。
その理由は「~イズム」「~イスト」のような主義や宗教ではなく現実に即した法則だからだというのがその主張のようである。特に宗教と誤解されるのを防ぐためだと思われる。
私なら「Non-Duality Dynamics(非二元力学)」とでもしたいところだが、それでは奇をてらい過ぎだろうか。
「Non-Duality」と「Nonduality」の表記の区別は英語ではしないようだ。

とはいえ、このブログにおける「非二元」と「非二元性」の呼び分けの定義をしておきたい。

  1. 非二元
    「非二元性」「主体と客体の非二元性」「梵我一如」「幻想現実」のすべてを受け入れた先に到達する何かのすばらしさと効用を含めて呼ぶ総称。
  2. 非二元性
    「主体と客体の非二元性」から導かれ、「幻想現実」「梵我一如」へと展開する考え方。この言葉自体には「梵我一如」「幻想現実」の意味は含まない。

日本では「非二元」の意味で「ノンデュアリティ」を使うが、「ノンデュアリティ」は「非二元性」が本来の意味なので、その混乱を避けるために「ノンデュアリティ」表記を控えることとする。例外として、「ノンデュアリティ」のほうが一般的には浸透し始めているため、検索ワードとしてタグなどには使用する。

遠回りをしたが、この前提で正覚者ガウタマ・シッダールタがいう非二元性について解説する。

シッダールタは「主体と客体の非二元性」を説明するために、非二元性を繰り返し説いた。
「耽溺」と「患い」をそれぞれ「耽溺」「患い」として認識し、そのはかなさを知ることで、どんなに執着してもいつかは必ず苦しむものだと知れば、その「耽溺」と「患い」から離れようとするだろうと考えたのだ。そのはかなさを説明するために、非二元性が重要であった。まさに、シッダールタがさとりを開いたきっかけの「中道」である。シッダールタは非二元性を中道と呼んだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください