Non-Duality Speaker , Early Buddhist Philosophy Teacher

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心に響く歌

深夜のテレビ番組でMVが流れていた。
自我があった頃が懐かしく感じられる歌だった。

サイコパスという存在を受け入れてから

脳科学者中野信子さんの書籍で「サイコパス」を詳しく知ることができ、人々が思っている以上に多くいることを受け入れてから、自分でも驚くほどの心境の変化があった。

「サイコパス」を理解するまでは、人間の「悪意」を心理学的にどう解釈したらいいのかがわからなかった。この世で生きていくうえで、何をするか分からない「悪人」を正しくかぎ分けて避けることはほぼ不可能だからだ。

予測できない恐怖におびえながら、心理学という蓄積された英知を通して「悪意」を知ろうとした。そうしているうちにも、「悪意ある店員」や「悪意ある顧客」、ネット上の「悪意ある書き込み」などと遭遇する。これは、わたしだけの体験ではないはずだ。

そんな生まれてから年齢分の経験から裏打ちされた世界観を、簡単に崩壊させてくれる情報に出合う。数年前に「発達障害者は少なく見積もっても10人に1人、多く見積もれば5人に1人はいる」と知った驚きのように、中野信子さんの書籍で「サイコパスは理論的には20人に1人はいる」と知って、想像以上に身近であることに納得したのだ。20人に1人と理論的にいえるならば、境目(ボーダー)も含めれば10人に1人はいる計算と見てよい。

確かに今までの人生を振り返ってみれば、公立の中学校のような人為的偏りがない、さまざまな学力の生徒がいる環境で、非行少年と呼ばれていた一部の生徒の割合はサイコパスの比率と一致する。

彼らの特徴は「自分自身が危機に陥るという恐怖心を感じにくい脳」だそうだ。しかられるという恐怖心も、懲罰を受けるという恐怖心も、暴力を受けるという恐怖心も、後で自分が損するかもしれないという恐怖心さえも鈍いという。

とはいえ、サイコパスではない人々と同じような比率でIQ分布があり、低IQのサイコパスもいれば、高IQのサイコパスもいるという。
従って、低IQのサイコパスはチンピラのようになるが、高IQのサイコパスは薄情なインテリのようになる。

そして、これが脳の問題だけに、極端なサイコパスだけでなく、少しだけサイコパスという者もいるというのである。

もっと言えば、子供はサイコパスからスタートし、大人になるにつれてサイコパス度が下がるのだが、自我の成長も加味すると、思春期がもっともサイコパス度が高い時期だという。

わたしは男であるので、男だけに限った残念な情報もあった。
男は性的興奮が高まると、性的対象に対し、サイコパスっぽい脳に変化するという。

思春期といい、男の性的興奮といい、実はだれにとってもサイコパス症状は身近なものだったのだ。

男女問わず、思春期の恋のもつれはサイコパス症状だったのである。
男性に限り、変態的な性的嗜好もサイコパス症状だったのである。

少しややこしくなってきたので、ここで整理しよう。
まず脳科学的に20人に1人の割合で「ずっとサイコパス症状」のサイコパスがいるということ。わたしはこれを実情で考えれば10人に1人の割合と見ている。
次に、サイコパスではない普通の人でも「思春期サイコパス症状」と「性的嗜好サイコパス症状」は発症するということ。

「ずっとサイコパス症状」のサイコパスを見分ける方法は、「デスクワークが苦手」「チームワークが苦手」「恐怖心がない」「饒舌」「性欲が強い」の5つであると脳科学で解明された。

世間一般でいわれている「サイコパス」=「凶悪犯罪者」というのは必ずしも当てはまらず、生育環境によって決まる。

そもそも、弁護士や医師などはサイコパス度が少しでもないと務まらないという。

これらのことを理解し受け入れてから、「悪意」というものが把握できるようになった。「悪人」を正しく察知し、当人なりの保身によるものだということも理解できる。わたしにとって、予測できないものではないと理解できたことは、自分でも驚くほど自分自身に平穏を与えてくれた。

すると、まるでブロックが外れたように、歴史上の人類の恐ろしい悪事の真実を知る体験が増えた。サイコパスを受け入れる前のわたしでは、到底受け入れられなかったであろう残酷さであった。

その一つが「従軍慰安婦」のために存在する韓国の団体が、従軍慰安婦への日本人からの寄付金を従軍慰安婦だった女性たちに渡さずに、運営者が使い込んでいた問題である。女性の性を食い物にした日本帝国軍の従軍慰安婦制度にも嫌気がさすが、従軍慰安婦制度に関する日本人の罪悪感さえも食い物にした韓国の団体の運営者にも吐き気が催した。

さらに、もう一つ吐き気が催した歴史的事実があった。
終戦直後、満州にソ連軍が侵入したが、民間人の命が脅かされ、ソ連軍と民間人との間で取引された。命と引き換えに若い日本人女性が集団レイプの犠牲となった。それだけでも恐ろしい事実である。
そこへ、新たな事実が追加された。そもそも満州に住んでいた日本人女性は、就職のつもりで満州へ渡り、実は無理やり嫁にされた女性だったという。日本人女性たちに「嫁にするため」という大義名分が先で、就職して自立するという触れ込みはうそだった。途中で「強制的に嫁にされる」と知った女性たちは逃げ出す者もいれば、半ばあきらめて渡航した者もあったという。実際、満州へ渡ってしまうと、だれかと結婚しなければ生きていけない。妥協して結婚し体を許した。
終戦を迎えると今度は言葉の通じない白人に乱暴にされて数十人にレイプされるのである。数百人だったかもしれないが、それは調べようがない。
この事実で吐き気を催したのはもっと先に進んだ場面であった。
彼女らはレイプに耐えられず自殺するか、性病で死ぬか、妊娠で死ぬか、生きて耐えた。必ずだれかがレイプ被害に遭わないと、村の人々の命が奪われてしまう。正にいけにえ状態であったが、多くの女性が命を落とし、耐え抜いた女性はソ連軍が撤退した後、生活のために中国人と結婚した。敗戦した日本は引き揚げ船をなかなか用意できなかったからだ。
わたしが読んだ事例では、その女性は中国人と結婚した後、日本の引き揚げ船に乗るチャンスに恵まれ、中国人の夫を説得し、日本に帰れたという。無事に長崎に到着し、そこで待っていたのは「妊娠チェック」と「堕胎」であった。日本政府は「日本人の純血を守るべき」とし、彼女らに無理やり堕胎させたのだった。そして、その公式記録は抹消された。ただ、不可解な多くの手術の件数だけが記録に残っている。
わたしは吐き気を催した。

サイコパス云々の前に、社会的差別のほうが恐ろしい。
サイコパスを受け入れると、人間の悪事を直視できるようになったのはいいが、想像以上に人間は残酷であるという事実が浮かび上がる。

団体や社会を相手にするよりも、一人一人誠実に向き合ったほうが平和を実現できるような気がする。
いや、それこそが真実なのであろう。
集団心理の滑稽さは新型コロナウイルス・パンデミックでも露呈したとおりである。

断じて、集団心理こそ人間の本性なのではない。一人一人向き合ってこそ、人間の本性に触れられるということなのである。
これだけは、間違えてはならないとわたしは理解した。

コロナ・パンデミック?

近所のコンビニやドラッグストアからマスクが消えた。入荷の目途が立たないという。
連日、感染者が何人だ、どこで感染者が見つかった、と繰り返し報道されている。
周囲からも「感染したらどうしよう」とか「感染者がどこにいるかわからないから怖い」といった声が聞かれる。

私は先月の時点で、新型ウイルスがどの程度のものなのか調べた。先月の時点では正確な数字は出ていなかったが、ほかに知られている新型ウイルスのSARS(2002年)、MERS(2012年)よりは致死率は遥かに低いらしい。
では、なぜ世間で騒がれているのだろうか。インフルエンザが大流行しても死者が出る。インフルエンザより深刻だからだろうか。
私が見たネットの情報では正確な情報がないとしながらも、深刻に考えるほどではないとの結論だった。

知人から、近所の病院での様子を聞いた。看護師がマスクを2枚重ねていたという。そして、看護師が何人も辞めてしまったらしい。
素人ではない医療従事者である看護師が異常反応しているようだ。これには耳を疑った。
知人は持病の処方箋をもらうために受診したが、ついでに風邪気味であることを伝えると、診察もそこそこに医師からすぐに帰宅するように言われたという。

医師の判断は正しいように思う。報道でも感染が疑われるかたはすぐに病院には行かないように伝えている。政府や自治体が用意した相談窓口に問い合わせるようにとのことだ。
それには理由がある。入院患者に感染すると、院内感染で急激に広がる可能性がある。そんなことになれば、ほかの疾患との合併症で死者が増えてしまうのだ。
中国の湖北省で死者が多いのはそのせいだとの見方もある。間違っても入院中の患者に感染症をうつしてはならないのだ。

医師はともかくとして、看護師の姿には開いた口がふさがらない。そもそもマスクは「自分がうつらないため」ではなく、「人にうつさないため」にするものである。
感染者と2メートル以内に接近する場合には飛沫感染によって「自分がうつらないため」という効果は期待できるが、どちらにしても通常の風邪と対応は変わらない。
看護師が辞めてしまい、人手不足になっているので、感染して仕事を休むわけにはいかないという意味では慎重なのはいいが、マスクを2枚重ねて使うというのはさすがにやり過ぎである。

恐れているかたがたを観察していると、どうやら「感染したら死ぬ」と思っているようだ。それならばインフルエンザであっても「感染したら死ぬ」ことはありうる。
現時点で正しい数字はまだ出ていないようだが、専門家の予測としての致死率はインフルエンザの倍程度のようである。
インフルエンザにかかったら「死ぬ」と思って恐れる人ならわかるが、インフルエンザを恐れないような人が新型コロナウイルスに感染すると「死ぬ」と思って恐れているなら、それは異常反応と言わざるを得ない。
個人差はあるため、必ず死なないとはいえないが、「入院患者に絶対うつさないようにする」という最優先事項はあっても、おびえることではない。

素人が抱えている疑問に答えよう。
感染すると死ぬ?
致死率は0.2%から0.1%と考えられている。中国で致死率3%を超えているのは医療崩壊したからだ。そのため、高齢者か若くても合併症で多くの人が亡くなった。全世界で見ると感染拡大を防げば医療崩壊は考えにくい。
治療法はない?
治療法は対症療法である。これは通常の風邪となんら変わらない。もともと風邪の特効薬は存在しない。同じく新型コロナウイルスにも特効薬はない。治った人間はすべて自分の免疫で快復している。
妊婦が感染すると胎児は死ぬ?
胎児にはうつらないと考えられている。妊婦が肺炎を起こすと重症化しやすいので注意が必要だ。
高齢者が重症化しやすいと聞いたけれど、子供は?
高齢者は感染しないように注意が必要だ。子供の重症化は報告されていないので、軽い症状で済むと考えられる。
中国から荷物が届くと感染するのでは?
ウイルスは物に付着してから数時間で死滅するので、触ってもうつらない。

基本的にはコロナウイルスとは風邪のウイルスの一種なので、風邪と思っていい。
風邪であっても、肺炎まで重症化すると、だれでも命の危険がある。
治るためには免疫でウイルスを死滅させるしかないから、抵抗力・免疫力を高めることがもっとも重要だ。
感染を予防しながら、感染したとしても肺炎にならないように、免疫力を高めておこう。
乳酸菌や納豆菌を積極的に取り、ビタミンA・ビタミンC・ビタミンEを健康時の必要量よりも多めに取ろう。
もし、症状が出たら、市販の風邪薬を服用して安静にしよう。ここまでは普通の風邪と同じ対応だ。
37.5度以上の発熱が4日以上続いたら、相談センターに問い合わせよう。
高齢者や持病がある人は、厚生省の目安に従い、37.5度以上の発熱が2日程度続いた場合でも、重症化を避けるために相談センターに問い合わせよう。

間違っても、過剰に騒いで医療機関を混乱させる行為だけは避けよう。
キーワードは「予防」と「免疫」である。感染者はだれか、どこにいるかではないのだ。

「~じゃん」は本当に神奈川方言か

私は北海道で生まれ育った。
幼少の頃に「~じゃん」という言葉遣いをしていたか記憶が定かではないが、現在は親しい間柄に限って日常的に使っている。それはプライベートの範囲を超え、職場での同僚とのやり取りでも使えたし、そこに違和感はなかった。

たまたま方言について調べていると、「~じゃん」は神奈川県の方言であると知った。確かに北海道方言といえば「~(っ)しょ」「~べ」「~だべ」「~だべさ」「~だべや」「~でや」が北海道らしい語尾であり、「~じゃん」は標準語の感覚で使っている。「~じゃん」を北海道方言だとは思わないが、標準語のつもりで使っていたのに、神奈川方言だといわれると「なぜ北海道でよく耳にし、漫画でもよく見かけるのか?」という疑問がわいた。
しかし、それから数十年がたっても、やはり「~じゃん」は神奈川方言だといわれ、ときどき調べても神奈川方言だとしかわからなかった。
私の解釈としては、テレビや映画、漫画などをきっかけにして若者が中心に使い、全国に定着したのだろうと推測していた。

一昨日、たまたま「~じゃん」起源について好奇心がよみがえり、今ならネットに新しい情報があるのではないかと考えて検索してみた。
「じゃん」は絹の道から?」(2014年12月11日付)に興味深い記載があった。
ニュースで報道されたそうだが、「~じゃん」が市民権を得た理由として『日本語ウォッチング』(井上史雄著、岩波新書刊)に詳しく書かれているという。
群馬の富岡製糸場が近代日本において重要な産業で、全国から工女が集まり働いていた。その工女たちが使っていた言葉だという。特に神奈川方言として定着したのは、貿易港があったからだとした。妙に説得力がある。「~じゃん」は静岡で古くから使われていて、貿易港がある横浜に伝わったのだろうとした。
このサイトでは『信州のことば』(馬瀬良雄著、信濃毎日新聞社刊)の説も紹介している。長野で使われる「~じゃん」は山梨甲府から由来だという。愛知三河で使われていた「~じゃん」も古いので、徳川家が東日本に広めたのではないかとも推察されているらしい。
これらの資料から、サイト執筆者は三河と長野を結ぶ三州街道と、長野と関東を結ぶ甲州街道の存在から、生糸の貿易ルートがあり、工女が広めたのだろうと結んでいる。

しっくりこない。霊感的にというか、インスピレーションとしては違うと思われた。
私はこの違和感を言葉に表してみようと試みた。三河と甲府と神奈川はそれぞれ違う起源の「~じゃん」を使い、全国で使われている「~じゃん」は「~じゃない」の「ない」が「ん」に変化したものと考えた。そもそも「~じゃない」の「じゃ」も「では」からの変化である。「~じゃない」も市民権を得たのか、そもそももともと標準語なのかは調べていないが、「ない」が「ん」に変化したとしても違和感がない。
つまり、各地の「~じゃん」は由来も用法も違い、全国的に定着した「~じゃん」は「~ではない」が「~じゃない」に変化し、さらに「~じゃん」に至ったもので、標準語が変化したものということである。

私はそれを裏付ける情報がないか、さらにネットで検索をかけた。そして、ついに見つけた。
方言「じゃん」の地域別の意味と使い方|愛知/静岡/山梨/九州/北海道」である。
このサイトでは各地の意味の違いを網羅している。私のインスピレーションどおりのアプローチだ。
三河弁では「~じゃん」の意味は「~(な)んだけどね」だという。静岡でも同じ意味であり、同じ由来だという。
甲州弁では「~じゃん」の意味は「~でしょう?」だという。
三河では「昨日すきやきだったんだ」といった過去のことで「昨日すきやきだったじゃんね」と使い、甲府では「明日お祭り行くよね?」といった未来のことで「明日お祭り行くじゃんね?」と使うのだ。
私が知っている「~じゃん」の意味とはぜんぜん違うのだ。

さて、肝心の神奈川方言ではどうかである。はたして、全国に普及した「~じゃん」と同じ意味なのだろうか。
神奈川方言としては、静岡や甲府から伝わった方言ではなく、相模、湘南、横浜あたりで古来使われてきた独自の方言だという。
神奈川方言では「~じゃん」は「~よね」となるらしい。全国で使われる意味にとても近い。
私は何事も慎重に取り組みたいたちなので、本当に神奈川の相模地方、湘南地方、横浜地方で使われていた古来の用法と、全国で使われている用法が同一なのかはとても気になる。

私の地元北海道では、全国に広まった「~じゃん」の意味とまったく同じ使い方である。テレビや映画、漫画などでの使われ方と同じなので、その影響であることはほぼ間違いない。
もし「今日は暑いよね」の意味で「今日は暑いじゃん」と使うなら、全国的に使う用法と微妙に違うように感じる。
全国で使われる場合の意味は「今日は暑いじゃん」は「なんだ、今日は暑いじゃないか」といったニュアンスを含んでいる。
「今日は暑いよね」も「なんだ、今日は暑いじゃないか」も同じ「今日は暑いじゃん」と表現される場合、それは微妙に意味が違い、違う由来の言葉だと推測することができる。
それをもって全国の「~じゃん」の由来は神奈川方言ではなく、「~ではない」からの変化であって、標準語が由来であるといえる。

これらの理由から、ふたつめに紹介したサイトでの結論についても納得できないし、言語学的に課題が残ると思われた。
古来の神奈川方言で「今日は暑いじゃん」に「なんだ、今日は暑いじゃないか」の意味があるのか、ぜひネイティブ・スピーカーのかたからお話を聞きたいものだ。

警察官による職務質問に対する法的問題

ただいまTBSの「あさちゃん!」にて、警察官の職務質問に対し、職権乱用の疑いがあるとして、警察官を目の前にして110番した女性のインタビューが報道された。

その女性か連れの男性が、警察官を動画に収めていた。しかし、抵抗していた免許証提示の要求に屈した映像は報道されず、撮影されていたのか、撮影を拒まれたのかは不明だ。

その女性いわく、警察官が違反を指摘しておきながら、なんの違反かはっきり言わず、不信感を抱いたという。そのため、免許証提示の要求に抵抗すると、警察官から「私にはその権力がある」「嫌なら法律を変えてみろ」「あなたが誰だかわからない。指名手配犯かもしれない」と言われ、免許証提示に屈したという。

納得がいかなかった女性は110番で助けを求めた。警察官を相手にして、警察に助けを求めるとはなかなか勇気がいることである。おそらく、はっきりしない違反について釈明を求め、警察官の態度について不服を申し立てたのだろう。

すると、警察官の上司である男性と、同僚である女性が現れたという。この辺りもすべて動画で撮影されていた。このことから、すべて撮影されていたと解釈できる。

上司は職務質問した警察官に、発言についての謝罪をさせた。違反については「交差点右左折方法違反」というものらしい。テレビ番組でも解説されていたが、正式名称を再確認しようとネットで検索してもなかなかヒットしなかった。警察官も違反名を思い出せなかったのだろう。それがあだとなった。

結局、その女性は減点と違反金の支払いとなり、警察官の職務質問は正しく、ただのマナー違反かのような終わり方になった。

テレビ番組では法律に詳しい人にもインタビューをして、警察官の法的な問題について確認していた。どなたかは名前を確認しなかったが、テレビで見たことがある年配の男性が答えていた。

そのかたいわく、「名誉棄損に訴えられかねない」「交通違反程度で1時間ものあいだの自由を奪われることも拘束に当たる」とのことだった。

微妙な被害ほど裁判はスムーズではないものだ。その女性は、たとえ自分に違反があったとしても不服があり、テレビで世に訴えたのだろう。その心情は理解できるが、110番して上司を呼びつけ、警察官を謝罪させたことは十分に効果があったものと思われる。

テレビでの報道も判断は悪くない。警察関係者の顔は伏せられ、音声はそのまま放送された。

十分に問題を解決するための、できる限りの努力はすでに完了しているが、全国の警察や一般人に似た問題がないかを訴える効果としてはある。それでもなお、その女性はもやもやしているだろうが、できる限りのことをし、かつ、世に問題提起したことは素晴らしい行為だ。

警察の問題を警察に訴えて解決させることは、実際問題としてかなり難しい。それを成し遂げたその女性は、ただ思うとおりに行動しただけだとしても、正しい判断をしたし、そして、かなり幸運である。いつもこのようなスムーズな解決に至るものだと思い込んでしまうと想定外なことに遭遇しかねない。

裁判で納得がいく結果になることは難しいことから、現場にて早い対応をして、問題があった相手が所属する組織の責任者と対峙することはもっともよい解決方法だといえる。

その責任者が誠実に向き合ってくれるかどうかについて、動画を撮影されていたから誠実だったのか、それとも、動画撮影に関係なく、誠実な人間だったのかはわからないが、動画を撮影することは身を守る助けになる可能性も高いだろう。

警察側が動画撮影に気づいていたかどうか、ぜひ知りたいところだ。

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