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Non-Duality Speaker , Early Buddhist Philosophy Teacher

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自分で自分を叱る癖

私たちは何かを失敗したときに、「また失敗した!」「全然ダメじゃん!」「しっかりしろよ」「だから、あのとき気になってたんじゃん!」といったように、心の中で自分に向かって叱ったり、責め立てたりする。
そして驚くべきことに、それが普通の反省方法だとさえ思い込んでいる人がとても多い。

もっとひどい人になると、自分で自分を責め立てることが反省だと思っているために、人を反省させようとするとき、その人を責め立て、会うたび同じことを蒸(む)し返す人がいる。そうすることで、相手は十分に反省するだろうということのようだ。

反省とはそういうものではない。辞書を見てみよう。

はん‐せい【反省】

  1. 自分のしてきた言動をかえりみて、その可否を改めて考えること。「常に―を怠らない」「一日の行動を―してみる」
  2. 自分のよくなかった点を認めて、改めようと考えること。「―の色が見られない」「誤ちを素直に―する」

はんせい【反省】の意味 – goo国語辞書

このように「自分で自分を叱る」とか「自分で自分を責め立てる」といったことはどこにも書かれていない。
1.は「あれでよかったのかな」と再び考えることだ。
2.は改善する意思のことだ。

一般に自分自身を叱ったり、責め立てることは、日本語では「自責の念」と表現する。
「反省」とはちがう言葉なのだ。

もし、あなたが失敗して、どうしたら同じ失敗をしないようになれるか、改善しようと工夫するなら、それで十分に理想的な反省をしていることになるのだ。

その改善しようとする努力の途中で、「もう失敗するなよ」「私は忘れっぽいんだから!」「またミスをする!」「がんばらなきゃ!」と自分で自分に注意を促そうと声をかけることは、たったひとつの脳に別の仕事が増え、集中力が乱れ、また失敗する確率が上がる。

まさに「百害あって一利なし」。
それでも、そう自分に注意を促すことはいいことだと思い込んでいる人はとても多い。

証拠のない不安を煽(あお)ったり、危機感で感情的になったりする自我は明らかに悪い自我だが、無駄に自分自身を監視したり、いいか悪いかジャッジしている心の声も、いい自分を装った、正義のふりをした、悪い自我である。
もし本当のよい自分なら、同じ失敗をしないようにサポートするだろう。
成功者に多い心の声としては「自分ならできる」といったものがある。そのように応援する声こそ、役に立つというものだ。

応援の声でも「オレ、最高!」「私は美しい!」といった自画自賛は要注意だ。それは応援になっていない。

将来の夢という麻薬

さとり、非二元では、今がすべてだという。今しかないので、今を意識する必要すらないという。
実際、人はスポーツやゲームに無我夢中で時間を忘れているときや、大笑いしているとき、号泣しているときは、今しかない状態になり、自分自身すら認識から消えている。その今しかない状態、自分自身を認識しない状態を、わざわざ「今しかない」「自分自身は存在しない」と意識しなくとも、今しかない状態、自分自身を認識しない状態になっている。

これは将来の夢についてもいえる。
一般的に将来の夢をもつことはよいことだとされている。
しかし、心理学的にみれば、その夢がかなわないなら、精神的ストレスとなり、自己卑下につながったり、人間関係に支障をきたしたりと、マイナス面が強まってしまう。

さとり、非二元では、今がすべてだとするため、過去や未来は脳内で作られた妄想であり、今に集中して成し遂げることの邪魔になると考える。
これは山登りによくたとえられる。ゴールとしての山頂だけを見つめて登山をすれば滑落の危険性が高まる。今、自分が歩いている足元をしっかり見て、ルートを確認しながら登れば、いずれ山頂にたどり着ける。

いわば、将来の夢とは、登山のたとえの山頂に相当する。

山頂のことばかりを考えて登山をしても危険である。体力を消耗しないようにペースを考えたり、滑落しそうな難所は集中して登らなければならない。
将来の夢も、将来の夢ばかりを考えて現実逃避をしてしまっては、将来の夢にたどり着くルートが誤った方向に進んでしまったり、将来の夢を台無しにしてしまう原因になったりする。

そして、さとり、非二元では、思考と感情も自我と考えるため、それを「本当の自分ではない」とし、本当の自分は別に存在すると考える。
本当の自分は「プレゼンス」「純粋意識」「全体」「宇宙意識」などと表現する。
現実世界は、プレゼンスから現れている一瞬でしかない。

あなたが自我にとらわれず、本当の自分の側で現実世界を見て、現実世界を自分が生み出す一瞬であると受け入れるとき、現実世界はあなたを不安にするものではなく、あなたの本当の自分によって作り出されているあなたの現実であると知ることになる。

実際、すべての人間は、本人が納得していること、当然と思っていることで人生が作られている。あなたが運命だと思っていることはすべて、あなたが納得していること、当然だと思っていることである。

自分がこの現実世界を、人生を、運命を作り出していると受け入れるとき、将来の夢を見ることに何か意味があるだろうか。
すべて、あなたが作り出した現実世界、人生、運命である。全部、自分で作っているのなら、定まっている運命というのは存在しない。

将来の夢を将来の夢だと納得している限り、当然と思っている限り、その将来の夢は永遠に将来の夢である。
将来の夢を将来の夢ではなく、今、実現する夢だと納得しているとき、当然と思っているとき、その実現する夢は今、実現する運びになっている。

将来の夢は意味がないとハッキリ言うと、「つまらない」「寂しい」という人がいる。
将来の夢にときめいたり、ワクワクしたりすると、夢は絶対にかなわない。
実際にかなっている人間はひとりもいない。
かなえる人間はときめいたり、ワクワクしたりしていない。
ときめきたい、ワクワクしたいと思っている限り、その夢は絶対にかなわない。
すると、「かなわなくてもいい。ときめきたい。ワクワクしたい」とまでいい出す人さえいる。

かなわなくてもいいなら、それでもかまわない。
役に立たない喜びは、嗜好品または麻薬と同じ効果があり、依存性がある。
依存性ほど、人生を破綻させるものはない。

あなたは自我からの甘い言葉や依存性から離れて初めて、本当の愛を体感し、愛そのものになる。

あなたが考える7~10秒前に

ジョン・ディラン・ヘインズ博士は、fMRIを使って脳を監視し、被験者がモニターを見て、次々表示される文字のうち、気になった文字のタイミングでボタンを押すようお願いしたところ、7~10秒も前に脳が活動し、その活動を読み取ることで、被験者がどの文字を選んだか予測できることを証明した。

脳は、被験者が文字をモニターで見る前に押すことを決定し、文字が表示されボタンを押したのだが、脳はなぜ7~10秒も前にその文字を選び、なぜ被験者の意識では今、選んだつもりになるのか、多くの人を困惑させた。

自由意志はあるのかという議論まで発展した。

ヘインズ博士は、脳内の決定から意識で認識されるまでをワンセットの自由意志と考えている。
実際に、脳で決定後、ボタンを押す直前で変更され、予測が外れることもあったという。

私はこれをさとり、非二元で考えてみた。
7~10秒前に決定したことが「本当の自分」からのインスピレーションで、直前に変更されるとき、自我がその決定を変えたということだ。
自我がなければ、さとっていれば、迷いはなくなり、多くのことが順調に進む。自我があると、多くのことが順調に進まず、迷い、苦しむ。

無意識下では決まっていること。自我も無意識下にあるから、無意識下で自我が邪魔をする。
その意味で、「自分」は存在せず、「自由意志」も存在しないとすれば、さとり、非二元でいうことは科学的にも正しいと裏付けられることになる。

実験ではまだ確証は得られていない。自由意志の実験はまだまだ続けられている。

精神年齢は存在しない。

精神年齢は存在しない。

自我が勝手に「自分は大人げない」とか「自分は子どもっぽい」と不安がる。

社会のなかでマナーを守れなければ、大人げないとはいわれる。
それは「大人げないから、マナーを守ろう」といっているだけであって、「あなたは大人げない人間だ」という意味ではない。

ただ「マナーを守るか守らないか」だけを考えればいい。

あなた自身が、精神年齢を問題視されているわけではない。

そもそも、心に、精神に、思考に年齢なんて存在しない。
ただ、マナーさえ守ればいいだけのこと。

さとると、寝ているときの夢を見なくなる。

さとると、寝ているときの夢を見なくなる。

もし、見てもストーリーはなくなり、夢の中での自分の感情がない。

怖い夢も、楽しい夢も、急いでいる夢も見ない。

有名人が登場しても、特に何かが起きるわけではない。

このことから夢は、自我が見せていたことに気づく。

どうにかしないといけないと騒いでいる自我が、寝ているあいだに夢の中で体験させて騒ぐ。

さとると自我がなくなるから、自我がなくなるとさとるから、夢を見なくなる。

反対に、夢を見たときは、自我が動き出したと気づけるようになる。

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