Non-Duality Speaker , Early Buddhist Philosophy Teacher

タグ: 予言

私の予言が次々と当たっています。

今日も予言が当たったという連絡が来ました。

今日は転職を考えていた方からの、その後の報告でした。

私は転職の前にある場所で一仕事があり、そこで学びを乗り越えてから、転職になるだろうと伝えていました。

正直、その人は予言を信じていませんでした。その場所で仕事があるのは10%の可能性だろうと考えていたようです。天気予報でも10%と言えばほぼそうならないでしょう。その人は非常に半信半疑で、すっきりしない顔で帰りました。

すでに応募していた転職先は断られ、予定外に私が指摘した場所での仕事となり、たいへん驚いたそうです。

わざわざ報告が来たのは、私が「そこで学びを乗り越える」と伝えていたので、今になって気になりだしたというわけです。

予言を当てることが私の仕事ではありません。

学びを最小限の労力で乗り越えられるようにすること。これに尽きます。人生は、無駄な苦労、遠回りが日常茶飯事です。

もし、志が高い人なら、近道してもらい、早々と社会貢献して下さったほうがいいに決まっています。

もちろん、学びを避けては意味がありません。

学びとは人生の義務教育です。学びの留年は何年でも続きます。

死は卒業ではありません。人生の義務教育の卒業後は死ではなく、癒しのみが待っています。老後も幸せを満喫している方はそういう方々です。

目を背けてはいけません。

私は多くの真実を知ってしまった。

あなたは人の知り得ぬことを自分だけ知ることはどんなに苦しいかご存知でしょうか。

私は、人の運命を知ることができます。

この数ヶ月、何人かの秘密だけではなく、本人にすら告げられない未来を知ってしまいました。

だから、本人が目を通すこの日記にも載せられません。

それはひとりの問題だけではありません。ふたりでもありません。多くの人のいろいろなことを知ってしまい、どこまで教えていいかの加減がわからないのです。

そもそも未来は知らないことが本来でしょうから、カウンセリング効果の範囲で伝えてはいます。私だってべらべら言いたい放題伝えているわけではありません。

逆に、私自身も運命に組み込まれていると考えるほうが自然です。

ならば、私が恨まれる運命にはしたくないのです。

基本的には上の存在が伝えていいというものは伝えています。

伝えてはダメだというものは伝えてはいません。

わからないものもあります。それは伝えてもいいのでしょう。

でもいいというメッセージはありません。伝えても伝えなくてもいいのでしょうね。それだけ揺るぎない未来なのでしょう。

だからといって、私が相手に伝える単語の一言一句誤解なく伝えられるものかどうかわからない上に、誤解されてもそれも運命で、私が恨まれることも含まれるなら迷うのが人情です。なぜなら、まちがいなく責任問題です。

正直なところ、運命は神のご意志の領域ですから、私のような俗人が踏み込んでいいものか迷うところだから、許される範囲だけ伝えたいのです。許される範囲かどうかわからない霊視は勘弁して頂きたい。わかってよ、神様!

自分が試されているような気がします。エリ、エリ、レマ、サバクタニ! キリストの最期の言葉、そうはなりたくないのです。

有能な霊能者は無数にいると実感した。

北海道の女性に、神戸の霊能者と同じことを言われていると驚かれた。

静岡の女性にも、最近相談した霊能者から同じことを言われたと驚かれた。

昨日の山口県の女性にも、長女が別の霊能者に前日言われたという内容と、私が子供たち3人を順に見た内容の長女の部分がぴったり同じであることに悲鳴をあげていた。長男も、次女も、本人が過去に言っていた就きたい仕事と私が告げた将来の仕事が同じであることも悲鳴をあげていた。

3者に通じることは、私のほうが一層細かいということだ。

今日の北海道の女性から、予知能力の長けた人が長崎にいらっしゃり、マジックショーとして催されていたことを教えてくれた。

私の能力は霊感なのか、超能力なのかは、正直なところわからない。

内容はどうであれ、霊能者も誰であれ、同じものを見ていることは心地よい。同じであることが愛の証だ。美しい。

私は次のステップを目指す。前世の鑑定にも精力的に取り組んでいる。少しずつコツをつかんできている。前世を信じなかった私が、心を入れ替えて受け入れている。わかるだろうか。人は自分の想像したとおりの人生にしかならない。私は前世を信じていなかったから、前世が見えないだけなのである。今は受け入れた。あとはコツを知るだけなのだ。

私は前世占いがこの世にあることを知っている。前世を信じるようになった私は来世も信じる。ならば、来世占いがあっても良いではないか。来世占いは聞いたことがない。そう、来世も私は見よう。

新たな野望が生まれた。神社の神様のお言葉をもらうようになった私が人の人生が見えるようになろうと努力し、そうなった。次は前世のみならず、来世も見るのだ。私に不可能はない。あなたにも不可能はない。すべては私たち次第なのだ。

ただただ、感謝である。

霊感占いについて

 昨日、静岡県の若い女性相談者から言われたのですが、別の占い師に言われたことと私が告げたことは同じで、私が告げたことは一層詳しい内容だったようです。

 その女性は自分の未来に自信が持てたようでした。

 私は占い師に相談したことがありません。そんな私が霊感占い師になりました。

 正直なところ、とても不思議なのは、相談者が他の霊感占い師に言われたことを、私も同じように霊感で将来を霊視して、同じことを告げているそうです。それはつまり、相談者の将来を霊感占い師はみな等しく見ていたことを意味し、知らない占い師同士が同じ未来を見ていたのです。

 嬉しかったのは、私のほうが詳しい内容であったことです。

 私は性格上、他の占い師と同じ占い結果を出したことは面白くないのですが、それが相談者の未来の真実なのですから、仕方ありません。

 私なりの個性はそこにはないと痛切に感じると共に、私と同じく霊感で相談者の共通の未来を感じ取っている事実は、心強い話でもあります。それは、私の霊感がまちがっていない証明でもあります。

 結局、一層細かく未来を見通すことが、霊能者の能力の差の見せ所のようです。

 それでも、私は他の霊能者の真実性にたとえ曖昧であっても共感できることに、幸せと、仲間意識を感じます。「いっしょにがんばろ~!」って感じですよ(笑)

 私はたいへん細かく未来を見るようです。それを知らない人は私にキツイ言葉を投げかけます。私は頑張ります。だって、喜んでくれる人がいるんですもの。それしか、ないでしょ!(笑顔)

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