Non-Duality Speaker , Early Buddhist Philosophy Teacher

タグ: 前世

私にとって前世は現実です。

前世という考え方について、まだご存知ない方に、もし前世という考え方が現実となってしまったら、どういう価値観が生まれるかお伝えしましょう。

私は前世の記憶を断片的に思い出し、現実の交際相手に前世でも恋をしていて、当の交際相手に納得されている上に、詳細に前世の自分の感情を思い出してはときどき号泣してしまう自分に驚いており、もちろん困惑している次第ですが、いろいろと思い出す内容から、現実社会における違和感に気づきました。

それは、この地上にあるすべての差別が滑稽であること。そして、戦争などで殺し合うことさえも滑稽であること。

おわかりでしょうか。

たとえば、私の前世には、フランスでは女性として、韓半島では男性として、オーストラリアでは男性として、北アメリカ大陸では男性として、それぞれ生きた経緯があります。それぞれの人生でおぼろげに記憶があり、現実の人生の中で特に理由もなく愛着があるものなのです。

私は中学生の頃に「女に生まれたかった」と盛んに身の回りの人間に宣言していました。当時の世間ではニューハーフが流行っていたこともあり、女装や同性愛に目覚めかける何かがありました。高校生になって、ヨーロッパの魔女裁判の詳細を知り、女性差別を考えるフェミニズムにも傾倒しました。今になって考えれば、恐らく19世紀のフランスで売春婦をしていれば、現在男になって生まれているぎこちなさと、性的に不利な女性に対する同情は、しっくりくるものと感じています。

また、昨今の韓流ブームが来る前から、私は韓半島の文化に理由もわからないままにたいへん興味があり、邪馬台国・大和朝廷の歴史を調べては、日本人の血には中国人だけではなく、朝鮮人の血も混ざっていると納得していました。未だになぜそこまで執着したのかわかっていないのですが、前世で韓半島に生まれ、日本に渡来し、奈良に住んだ実感があるのです。その証拠に、現在の韓半島ではキムチが一般的ですが、それさえも違和感があるのです。なぜなら、日本から伝わった食文化であり、私が生きた時代にはキムチは食べませんでした。

オーストラリアについては、先住民アボリジニがイギリス系白人から迫害された歴史があり、私は憤りを隠せませんでした。ご存知ですか? オーストラリアの南東にある大きな島タスマニアにいたタスマニアン・アボリジニはイギリス系白人の手によって消滅してしまいました。最後の生き残りであった女性の骨はイギリス系白人のある蒐集家に盗まれるという事件まで起きています。エアーズロックへの畏敬の念もあり、登れるかどうかといえば、躊躇するのが本音です。これさえも前世由来の感情なのです。

北アメリカでは、ネイティブ・アメリカンとして生きていました。オーストラリアでもアメリカでも私自身は白人からの迫害を受けていませんが、ネイティブ・アメリカンの哲学は20歳頃に流行った「アメリカインディアンの教え」にはまり、魂の根っこの部分に響きました。

これらのことを踏まえて、私は異性、異文化、異民族、被差別民を差別できません。

相手が誰であれ、どこであれ、戦争で殺し合うことは、私自身の、または私の近しい人のゆかりの文化、民族かもしれない存在を破壊する行為です。

自分が愛したものを壊しているかも知れない現実は、気づくことこそ愛の学びそのものです。

前世の息子を思い出しました。

前世で男の子を生み、自分の不注意で死なせて、自責の念に苛まれて人生を閉じた記憶を思い出して、「わ、思い出した!」と思った瞬間、号泣しました。そして、ケロッと正気に戻って、泣きはらした余韻に浸って、不思議な感じでした。その間ずっと、目の前に男の子の気配を感じましたが、それ以上はわかりませんでした。

私の前世はフランスで売春婦でした。

恋する男性はいましたが、かなり年上で、身分も不相応で結婚は叶いませんでしたが、その死なせてしまった息子はどうも、その男性の子ではないような気がします。売春婦でしたから、誰の子かわからなかったのでしょう。だらしなかった私にとてもなついていて、純粋で、信仰心の篤い子でした。6~8歳くらいまでは生きていたように思います。わ、また思い出してきた。泣きそう……。

前世の記憶は侮れませんよ。凄いな。

Powered by WordPress & Theme by Anders Norén