Non-Duality Speaker , Early Buddhist Philosophy Teacher

タグ: 北海道

今日からブログをスタート。

2008年4月1日というまさにキリのいい日にこのブログはスタートする。

しかし、なぜ年度の初日という大切な日を「エイプリル・フール」と言うのだろう。「実は全部ウソでした~」なんていうオチはただでさえクダラナイし、こんな大切な日にそんなことをされてはたまったものではない。どうせなら、成人式か、お盆か、クリスマスイブにでもすればいいのに。あちらこちらでたいへんなことになるゾ。

朝起きると、窓の外は猛吹雪でたいへんなことになっていた。まさに「ウソだろ?」である。数日間のうちに雨が二度も降り、雪が完全になくなっていたので、すっかり春めいている気分でいたし、東京では桜が見頃だそうである。そんな矢先、絶対春ともいえる4月の初日に猛吹雪である。北海道は侮れない。

そういえば、学校の学年は4月1日生まれまで早生まれ扱いになると聞いたことがある。4月2日以降に生まれた人は同じ学年だが、4月1日に生まれた人は1月から3月に生まれた人と同じく学年が一つ上になる。非常にキリが悪い。クラスメートにいた4月1日生まれの人が言っていたからほぼまちがいないだろう。エイプリルフールが関係しているのかどうか気になるところである。

北海道と釧路の命名者

三重県松阪(まつさか)市出身の松浦武四郎は、江戸幕府の役人で、まだ未開の地で蝦夷地と呼ばれていた北海道を徒歩で探検し、調査しました。
そして、幕府に蝦夷地を「北海道」と命名することを提案しました。
北海道だけではなく、北海道各地の市区町村も命名し、私の故郷釧路(くしろ)市も彼の命名によるものでした。もっとも、北海道の先住民アイヌがすでに住んでいましたから、アイヌ語地名をもとに漢字を当てたものがほとんどですが、アイヌ語でクスリ・コタンと呼ばれていた釧路地方を漢字で「釧路」としたのは、彼の愛着を示すものと言われています。というのは、万葉集に出てくる装飾品「釧」一字で「くしろ」と読めるのに「釧路」と二字で読ませたのは、釧路川上流にある阿寒国立公園内の硫黄山が資源として松浦武四郎は注目し、北海道東部ではクスリ・コタンよりもさらに東のアッケシ・コタン(現在の厚岸町)のほうが栄えていたのにもかかわらず、将来、釧路が我が国にとって重要な拠点になると期待したからでした。国の宝である資源に続く道、それが釧路でした。
その後、実際に国家事業として港が建設されました。資源の硫黄のほか、現在唯一操業されている太平洋炭鉱があり、これらの資源を生かして巨大な製紙工場が建てられました。港が大きいことを利用して、近年まで漁獲高全国一位でした。
当時はたいへん栄えたので、街の繁華街では船乗りたちが札束をばらまいて、ホステスが喜んで拾い、その金でその場にいる人々全員に酒を振舞っていたという昔話を、未だになんども聞かされています。
松浦武四郎の読みは当たっていました。

彼の偉業はこれだけではありません。北海道の先住民アイヌは、文字を持たない文化であったため、当時の日本人から蔑(さげす)まされ、函館にあった松前藩から虐(しいた)げられていました。その上、狩猟が基本の生活であったこともあって、食糧不足に悩み、アイヌの男性たちは現在の北方領土まで出稼ぎに出ており、村々は女子供だけが残っている状態でした。北海道各地を歩いて回った松浦武四郎はその惨状を目(ま)の当たりにし、アイヌに福祉が必要であると幕府に訴えています。しかし、実現しませんでした。
その後の現代に至るアイヌ差別を考えると、日本人が 100 年かけても解決できていない問題に、役人の身分でありながら彼は一人で挑んでいました。蝦夷地でのアイヌの生活を書物にして、たくさん書き残しています。

今でも釧路には松浦武四郎を称えて、釧路市松浦町が存在します。

三重県松阪市「松浦武四郎記念館」

伊勢神宮に向かう途中に偶然、この松浦武四郎記念館の看板を目にし、とても驚きました。そして、松阪市が彼の故郷であることを知りました。

彼は日本人の誇りとなれる偉人の一人でしょう。

マスコット「たけちゃん」

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